【雑記】食と罪悪感
ツイッターで定期的にくどくどとツイートしているのでご存知の方も多いと思いますが、そうです例の話です。
ちょっとそろそろブログとしてまとめてみようと思い立ち、筆を走らせています。
僕は日頃の食事は割とコントロールできてる方でして、かなりバランスの良い食事が摂れています。
若干生野菜が多いのではありますが、お肉もタンパク質も脂質も糖質も塩分も、ほどほどに食べています。
専門的に学んだわけではないので、多少いけてないところはあるかもですが、まぁコントロールされてない食生活をしてる人々に比べたら、かなりの高水準な食生活をしているでしょう。
はてさて、そんな僕も人の子。
たまには身体に悪そうな物を食べたくなる時があるんですね。
特に炭水化物。
そして、炭水化物に合わせた炭水化物。
例で言いますと、焼きそばにお好み焼きとか、ラーメンにご飯とか、そういうのです。
何を隠そう、僕が一番好きなのは「カップ麺をご飯で食べる」事だったりします。
でね。
たまに言う人がいるんです。
「糖分カットとか、塩分控え目とか、あっさりしたので食べれば良いじゃない」と。
バカじゃないのか?!
わかっていない。何もわかっていない。
これらの物がなぜ美味しいのか?
この人は考えた事があるのだろうか?
過剰な塩分?過剰な糖質?添加物で塗り固められた不自然な味?
違います。
これらが美味しいのはたった一つの理由。
それは、罪悪感です。
「あぁ、やっちまった、、、」
「なんて身体に悪い物を…」
そう。食べ終わって、いや、もしかしたら食べている途中でふと頭をよぎるあの感じ。
後悔とも絶望とも違う恍惚感。
罪悪感は蜜の味なのです。
毎日毎日、健康を意識して綿密に組まれた健康メニューの積み重ね。
それが、たった一食。
一食だけで全てが崩れ去り無に還るあの感じ。
それが堪らなく美味なのです。
わかってないなぁ。
そんなわけでして、僕が毎日きっちりとバランスの良い食事を摂っている理由がお分かり頂けたかと思います。
全ては罪悪感のため。
毎日コツコツと積み上げていればいるほど、崩れ去った時の罪悪感は大きくなり、より心に突き刺さるのです。
しかしそんな生活を続けているうちに、どうも罪悪感のマンネリと言いますか、ちょっとやそっとじゃ罪悪感を感じなくなってきた今日この頃。
罪悪感をより強く深く感じる為にはどうしたら良いのだろう?
おそらくですが、「健康への渇望」が不足しているのだと思うのです。
「じゃ、不健康になれば?」っていうと、罪悪感なんか感じてる場合ではなくなるので却下。
ここらへんの心の持ちようが今、試されています。
僕は最近ちょっとショックな事がありまして、死にたいというか、これはまぁ比喩的な直接的な表現ですが、「生きる事への執着心」がちょっと希薄になってる部分があるんですね。
つまり、
別に自分なんか死んでも構わない。むしろ早く死んだ方が良い。ただ親が生きてるうちは迷惑をかけてしまうのでそこまで生きれてればいいや。
…くらいな「生への執着心」なのですが、これが「罪悪感という観点で」見た時には酷く良くない。
だって、健康への渇望の根幹的な欲求の1つが欠けているわけですからね。
どんなに健康に対するリスクを感じても、心の底から罪悪感を感じる事が出来ないわけであります。
そんなわけでありまして。
現在、生きる事への希望を探しています。
そんなこんな。